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どうにもダメなものは、「これは自分には手におえない」と思ってしまったが最後、本当にそうなる?
なんとかなるまで諦めなければ、なんとかなる?
なんとかなる前に死んでしまったら??
投稿者 露人 時刻 07:38 日記・コラム・つぶやき | 固定リンク
大抵はどんな結果であれ、 なんとかなりますなぁ。
死んじまった場合? 幽霊が存在しないと仮定すれは、ただの「無」ですよ。 死んだことで回りの人は全て許してくれます。 幽霊や、現生への執念が存在する場合は、 本人次第でしょう。 せいぜい祟るなり、幽霊として出現するなりして下さい。 だけど、恰好は悪いですなぁ。
おれ? 俺は皮肉っぽく笑いながら成仏しますぜ。
投稿: ふろろん | 2009/10/18 17:02
TO: ふろろんさん
一般論的に書いてますが、下地は私の乾癬ですね。
いろいろやってきてますが、まだ治らない。将来的に治る保証もない。 それでもチャレンジしつづけるのか、それとも諦めるのか。 チャレンジしつづけて、でも治らなかったとしたら、死ぬとき私は何を思うのか?
・・・・なんて思いながら、まだまだジタバタするつもりですが。
投稿: 露人 | 2009/10/18 21:08
そういう精神論じゃあない、ような気がするけどなあ。
わたしは、病気はもうあきらめて何もしてないよー。 「気にしない」方向で。 だってがんばって薬とか飲んで治らないと かえってしんどいんだもーん。 おかげで、たまに気になるけど、 8割がた気にならなくなった。
て、これをたねに当てはめるのは、むりがある?
投稿: ゆきみ | 2009/10/18 22:02
そっかー 気がつかなくてごめんね。 というか、一緒の時から気にしてなかったんで(笑
投稿: ふろろん | 2009/10/19 00:33
「ピンチはチャンスに変わる」とか、 軽いタッチの言葉では片づけられない 深い問いかけですね。 ところで、使徒パウロという人には、 宣教を邪魔する肉体のトゲがありました。 それが具体的にどのようなものだったか はっきり分かりませんが、とにかく 使命に生きようとする彼にとっては 辛くて厄介な欠陥だったようです。 そのトゲをパウロは自分の中で どう受け入れ消化したのか。 ちょっと専門的な内容なので、 抵抗があるかもしれませんが、 さらっと読んでみてください。 こういう考え方もあるという一例です。
↓ ある教会のHPから引いたものです。
http://homepage3.nifty.com/fkc/sermon/2co1201.htm
投稿: しおん | 2009/10/20 11:52
TO: ゆきみさん
レス遅れ、すみません。
病気を治したいと思って何かやって、それが功を奏しなかった場合、そう、しんどいですねぇ(笑)
私の場合、気にしない方向が無理なので、がんばりつづけるしかないのかな、と思っています。どんだけしんどくても。
そうは思っていても、時々、ね?
投稿: 露人 | 2009/10/25 09:11
レス、遅れました。すみません。
幸いにも私の周りの人はみんな気にしないようです。昔も今も。 他の患者さんの話を聞くと、ひどいこと言われた経験とかしてますよー 人って怖いです。ホント(笑)
投稿: 露人 | 2009/10/25 09:14
TO: しおんさん
レス遅れました。すみません。
参考情報、ありがとうこざいました。早速、拝読いたしました。
・・・・そうですねぇ。私もミッション系の大学いってましたので、書いてある内容についてはよく理解できます。頭では分かっているのです。
問題は、感情的な部分なんです。 ずっとずっと、人は「知る」ことによって、そういう感情的な部分をコントロールできると思っていたのですが、どうもそうではないらしい。いくら頭で考え、理解しても、感情的に納得しないことがままあります。いや、感情はほとんど納得しません。 頭で考えることは社会に参加していく上で、自分の言動をコントロールするには役に立ちます。そして、それが「知る」ことの大切な役割だと思います。 でも残念ながら「知る」ことが決して感情を納得させてはくれないのです。
・・・・私だけかもしれませんが。
投稿: 露人 | 2009/10/25 09:24
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大抵はどんな結果であれ、
なんとかなりますなぁ。
死んじまった場合?
幽霊が存在しないと仮定すれは、ただの「無」ですよ。
死んだことで回りの人は全て許してくれます。
幽霊や、現生への執念が存在する場合は、
本人次第でしょう。
せいぜい祟るなり、幽霊として出現するなりして下さい。
だけど、恰好は悪いですなぁ。
おれ?
俺は皮肉っぽく笑いながら成仏しますぜ。
投稿: ふろろん | 2009/10/18 17:02
TO: ふろろんさん
一般論的に書いてますが、下地は私の乾癬ですね。
いろいろやってきてますが、まだ治らない。将来的に治る保証もない。
それでもチャレンジしつづけるのか、それとも諦めるのか。
チャレンジしつづけて、でも治らなかったとしたら、死ぬとき私は何を思うのか?
・・・・なんて思いながら、まだまだジタバタするつもりですが。
投稿: 露人 | 2009/10/18 21:08
そういう精神論じゃあない、ような気がするけどなあ。
わたしは、病気はもうあきらめて何もしてないよー。
「気にしない」方向で。
だってがんばって薬とか飲んで治らないと
かえってしんどいんだもーん。
おかげで、たまに気になるけど、
8割がた気にならなくなった。
て、これをたねに当てはめるのは、むりがある?
投稿: ゆきみ | 2009/10/18 22:02
そっかー
気がつかなくてごめんね。
というか、一緒の時から気にしてなかったんで(笑
投稿: ふろろん | 2009/10/19 00:33
「ピンチはチャンスに変わる」とか、
軽いタッチの言葉では片づけられない
深い問いかけですね。
ところで、使徒パウロという人には、
宣教を邪魔する肉体のトゲがありました。
それが具体的にどのようなものだったか
はっきり分かりませんが、とにかく
使命に生きようとする彼にとっては
辛くて厄介な欠陥だったようです。
そのトゲをパウロは自分の中で
どう受け入れ消化したのか。
ちょっと専門的な内容なので、
抵抗があるかもしれませんが、
さらっと読んでみてください。
こういう考え方もあるという一例です。
↓ ある教会のHPから引いたものです。
http://homepage3.nifty.com/fkc/sermon/2co1201.htm
投稿: しおん | 2009/10/20 11:52
TO: ゆきみさん
レス遅れ、すみません。
病気を治したいと思って何かやって、それが功を奏しなかった場合、そう、しんどいですねぇ(笑)
私の場合、気にしない方向が無理なので、がんばりつづけるしかないのかな、と思っています。どんだけしんどくても。
そうは思っていても、時々、ね?
投稿: 露人 | 2009/10/25 09:11
TO: ふろろんさん
レス、遅れました。すみません。
幸いにも私の周りの人はみんな気にしないようです。昔も今も。
他の患者さんの話を聞くと、ひどいこと言われた経験とかしてますよー 人って怖いです。ホント(笑)
投稿: 露人 | 2009/10/25 09:14
TO: しおんさん
レス遅れました。すみません。
参考情報、ありがとうこざいました。早速、拝読いたしました。
・・・・そうですねぇ。私もミッション系の大学いってましたので、書いてある内容についてはよく理解できます。頭では分かっているのです。
問題は、感情的な部分なんです。
ずっとずっと、人は「知る」ことによって、そういう感情的な部分をコントロールできると思っていたのですが、どうもそうではないらしい。いくら頭で考え、理解しても、感情的に納得しないことがままあります。いや、感情はほとんど納得しません。
頭で考えることは社会に参加していく上で、自分の言動をコントロールするには役に立ちます。そして、それが「知る」ことの大切な役割だと思います。
でも残念ながら「知る」ことが決して感情を納得させてはくれないのです。
・・・・私だけかもしれませんが。
投稿: 露人 | 2009/10/25 09:24